著者 バーバラ・W・タックマン、訳者 山室まりや『八月の砲声』下 ちくま学芸文庫、2004年

仏像評価 8.5
八月の砲声 下 (ちくま学芸文庫)
1914年8月〜9月。第一次世界大戦マルヌ会戦まで。
退却に退却を重ね、ついに独軍中央突破という第17計画を放棄せざるを得なくなった仏軍。一方で仏軍左翼の退却をみて、左右両翼による仏軍完全包囲=カンネーの再現の夢をよみがえらせる独軍。とにかく右翼を強化して開戦1ヶ月でパリを叩くという独軍のシュリーフェン計画は自壊していく。
東部戦線では露軍がドイツ国内に侵入。これへの対処のために、独軍右翼から2個軍団が引き抜かれる。タンネンベルクでは独軍が露軍に圧勝する。この時、独軍の指揮官はヒンデンブルク将軍であった。
ベルギーのルーヴァンは独軍の焼き討ちに遭い、中世から続く世界最大規模の図書館が破壊された。
英軍による海上封鎖を突破するために独軍Uボート作戦を始める。これが後々に米国の参戦を招くことになる。
首都パリの目と鼻の先まで追い詰められた仏軍。仏軍が壊走したと思い込んでいたドイツ第1軍のフォン・クルック将軍は、仏軍を完全に叩きのめすためにパリを目前にして全軍を南東に旋回させた。パリ防衛軍に側面を見せたのである。退却を重ねてはいたが、秩序を保っていた仏軍はこの好機を逃さなかった。フランス全軍と英軍が初めて一体となってマルヌで独軍を撃退し、独軍はあと一歩のところで勝利をつかみ損ねた。それから4年間、西部戦線ではこう着状態が続くことになるのである。
私のお気に入りの登場人物は、フランスのパリ防衛軍司令官ガリエニ将軍と第5軍司令官ランルザック将軍。ガリエニが仏軍総司令官ジョフルに提案しなければマルヌ会戦はなかったかもしれない。ランルザックは、マルヌ会戦において重要な役割を担った第5軍を退却を重ねながらもできるだけ温存し、開戦当初における仏軍総崩れを防いだ。