アリストテレス『ニコマコス倫理学〈上〉』

- 作者: アリストテレス,高田三郎
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1971/11/16
- メディア: 文庫
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本書を読み終わったのは2010年1月7日。哲学とか倫理といった、この手の本を読むことは長いこと止めていたのだが、2009年の秋頃から再開し始めた。なぜ再開し始めたか? 日々の生活の中で他人の価値観を受け入れ難いと思う経験が積み重なっていって、自分の中で限界に達したのだと思う。他人というのはわけがわからない。自分もまたよくわからない。わからないまま、なんとなく生きて、仕事をして、終わろうと思っていた。就職して何年か経って、そう自分に言い聞かせ、さらに何年か経ったが、やはりそのわからなさに耐えきれなくなり、わからないことを見て見ぬふりをせずに、考え続けなければ、そのうち仕事もできなくなるだろうということが、実感として迫ってきた。
当時、問題(考える対象)だと思っていたことはどんなことだったか。今でも覚えていることを挙げてみよう。
- 働かざる者食うべからずということは何に由来するか。
- 純粋であることを良しとすることは何に由来するか。
- 心的なものを神秘化することについて。「思い」や「気持ち」を大切にしたい等ということへの違和感。
- 価値観を問い続けるとどこかでそれ以上は問えない所に行き着く。それは、宗教のようなものではないのか。
- 宗教的なことに無自覚であるだけなのに無宗教と言ってしまうことについて。
Twitterのログを漁るなどすればもっと色々出てくると思うが、上記のような問いを考えていた。しばらくは特に本を読まずに、自分で考え、その内容を他人にぶつけるということをしてきたが、次第に堂々巡りになってきた。堂々巡り的になるのは仕方ないにしても単なる堂々巡りではなく螺旋階段を昇るようにするために、過去の人間の知見を借りることにした。過去の人間にも色々いるが、私は、西洋近代「以外」を見てみようと思った。西洋近代というのは私たちが立っている地面のようなもので、そこからできるだけ離れて見ることで、その地面の形がよく見えるようになるのではないか、そういう思いで、西洋近代以前の特にキリスト教化される前、西洋以外の地域の特に西洋近代と接触する前、そのあたりの人間たちの考えに触れてみようと考えた。「ポストモダン」なるものはひとまず西洋近代に含めて考えた。
私は古代ローマが好きだというのもあり、まずは古代ギリシア・ローマに当たることにした。そして当時の私の問いは倫理学的な問いを多く含んでいると考えたから、それに応えてくれそうなタイトルの『ニコマコス倫理学』を手に取ったのである。下巻はまだ読んでいない。方向性を模索しているうちに、問題の優先順位が変わってきてしまったのだ。どのように優先順位が変わってきたのかは、この読書日記が続けば、わかってくるかと思う。